Merry Christmas!
私は、秋田大学の国際言語文化課程3年次のMiyuと言います。今はイスラエルに1年間交換留学中している真っ最中です。もう少しで3か月がたとうとしています。私も秋田大学聖研のメンバーの一人で、秋田聖書バプテスト教会という教会に通っています。私と神様のつながりを話すと、私は母がクリスチャンで、小さいころから教会に通っていて、聖書の話もそのころから聞いていました。しかし、ずっと神様を信じるということがどういうことなのかわからず、神様がいなくても生きていけるのではないかと思っていました。しかしある時、それは本当の喜びに満ちた生き方ではないと気づかされました。神様に信頼して、神様に従って生きることでどんな時も希望を持って生きることができるのだと心から感じることができたのです。実はそれは今年になってからの話なのですが、こうしてイスラエルに留学する前に神様に従って歩む決心が与えられたことを心から感謝しています。留学の準備もイスラエルにきてからも、神様に信頼していなかったら自分が何をしているのか見失ってしまっていたと思います。しかし、私を造り、この世界を造り支配している、そして永遠に変わらない神様の完全な計画の中に私は生かされていると信じることで、どんなことにも意味があってすべてがつながっていくのだと感じ、希望をもって生きることができています。
ここで一つ、私がいまここで学んでいるイスラエルの公用語のひとつであるヘブライ語の言葉を紹介したいと思います。それは「シャローム」という言葉です。日本語で言えば「こんにちは」にあたる言葉ですが、この言葉には「平和」という意味があります。わたしはこのことに大きな希望を感じているんです。イスラエルは国内でも周辺諸国との間でもいつ戦火にさらされるかわからないような国ですが、その国の人々が、互いに会うたびに、シャローム、平和と口にしているのです。あいさつの度に深く考えている人はいないかもしれませんが、人々の平和を願う心がこのあいさつに表れているように感じています。
留学の話に戻りますが、留学したての頃の私は、自分の小ささばかり感じていました。授業も完全には理解できず、英語もペラペラで中東事情もよく知っているほかの留学生と自分をくらべて、自信を失いそうになっていました。そんな時に初めてイスラエルの教会に行きました。その時のメッセージは、すべての季節は神様がつくられたというものでした。喜びの時も悲しみの時もその時を指揮しているのは神様で、神様の恵みはいつでもすでに十分に与えられているんだということを知り、自分に無いものに目を向けるのではなくて、与えられているものに感謝して歩むもうと思うことができました。
そして、そんな神様の愛を人々に伝えたいという気持ちも与えられました。聖書にこんな箇所があります。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイの福音書5:13-16)私もこの御言葉の通りに、神様の素晴らしさを伝えるために、世の光となりたいと思いました。そのためにここでできることはないかと考えた時に、どんな人にも愛を持って接しようと思いました。例えば、大学内や街を歩くとき、友達や、知らないけどなぜか目が合ってしまった人にあいさつをするとき、笑顔で、そして心から、「シャローム!」といって、その人のために心の中で祈ろうと思いました。誰にも気づかれない、とても小さいことですが、神様がその祈りを聞いてくださって、その人の心に光をともしてくださると信じています。イスラエルに、そしてここに住む人々の上に、そして、今この証を読んでくださっている一人ひとりの上に「シャローム」「平和」がありますように!
2013年12月12日 イスラエル、ハイファにて
私は、秋田大学の国際言語文化課程3年次のMiyuと言います。今はイスラエルに1年間交換留学中している真っ最中です。もう少しで3か月がたとうとしています。私も秋田大学聖研のメンバーの一人で、秋田聖書バプテスト教会という教会に通っています。私と神様のつながりを話すと、私は母がクリスチャンで、小さいころから教会に通っていて、聖書の話もそのころから聞いていました。しかし、ずっと神様を信じるということがどういうことなのかわからず、神様がいなくても生きていけるのではないかと思っていました。しかしある時、それは本当の喜びに満ちた生き方ではないと気づかされました。神様に信頼して、神様に従って生きることでどんな時も希望を持って生きることができるのだと心から感じることができたのです。実はそれは今年になってからの話なのですが、こうしてイスラエルに留学する前に神様に従って歩む決心が与えられたことを心から感謝しています。留学の準備もイスラエルにきてからも、神様に信頼していなかったら自分が何をしているのか見失ってしまっていたと思います。しかし、私を造り、この世界を造り支配している、そして永遠に変わらない神様の完全な計画の中に私は生かされていると信じることで、どんなことにも意味があってすべてがつながっていくのだと感じ、希望をもって生きることができています。
ここで一つ、私がいまここで学んでいるイスラエルの公用語のひとつであるヘブライ語の言葉を紹介したいと思います。それは「シャローム」という言葉です。日本語で言えば「こんにちは」にあたる言葉ですが、この言葉には「平和」という意味があります。わたしはこのことに大きな希望を感じているんです。イスラエルは国内でも周辺諸国との間でもいつ戦火にさらされるかわからないような国ですが、その国の人々が、互いに会うたびに、シャローム、平和と口にしているのです。あいさつの度に深く考えている人はいないかもしれませんが、人々の平和を願う心がこのあいさつに表れているように感じています。
留学の話に戻りますが、留学したての頃の私は、自分の小ささばかり感じていました。授業も完全には理解できず、英語もペラペラで中東事情もよく知っているほかの留学生と自分をくらべて、自信を失いそうになっていました。そんな時に初めてイスラエルの教会に行きました。その時のメッセージは、すべての季節は神様がつくられたというものでした。喜びの時も悲しみの時もその時を指揮しているのは神様で、神様の恵みはいつでもすでに十分に与えられているんだということを知り、自分に無いものに目を向けるのではなくて、与えられているものに感謝して歩むもうと思うことができました。
そして、そんな神様の愛を人々に伝えたいという気持ちも与えられました。聖書にこんな箇所があります。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイの福音書5:13-16)私もこの御言葉の通りに、神様の素晴らしさを伝えるために、世の光となりたいと思いました。そのためにここでできることはないかと考えた時に、どんな人にも愛を持って接しようと思いました。例えば、大学内や街を歩くとき、友達や、知らないけどなぜか目が合ってしまった人にあいさつをするとき、笑顔で、そして心から、「シャローム!」といって、その人のために心の中で祈ろうと思いました。誰にも気づかれない、とても小さいことですが、神様がその祈りを聞いてくださって、その人の心に光をともしてくださると信じています。イスラエルに、そしてここに住む人々の上に、そして、今この証を読んでくださっている一人ひとりの上に「シャローム」「平和」がありますように!
2013年12月12日 イスラエル、ハイファにて